似合わなくなった服を着る

斎藤麻里子


 

稽古場に向かって土手を歩いていると、仕事の電話が入ってやり取りをする。一か月前にやった仕事のやり直しの話で、一気に社会に引き戻される。ダンサーズに参加したての頃、美香さんが「まとっている『社会』を全部脱ぎ捨てて稽古場に来ないといけない」と言っていたのを思い出す。

 

当時はまだ20代前半で、社会をまとうという意味がよく分からなかったけど、今は少し分かる。

 

 

稽古場に着くとまだ誰もいなくて、ずいぶん日が長くなったとはいえ19時だともう薄暗い。二階に人の気配がしたけど、声をかけて良いのかわからず、何となく気後れしながらコソ泥のように稽古場に入る。

 

以前は、一番乗りでも美香さんが前もって電気を付けてくれていたので稽古場は明るかった。暗い稽古場に入るのは初めてで、電気を付けようとしたのだけど、スイッチの場所を知らない。私は10年もここに出入りしているのに、電気のスイッチの場所すら知らなかったんだと思う。

 

所在なく、いくらか心細くなってきて、「今日本当に稽古だっけ」と不安になっていると、パラパラと人が集まりだす。パラパラ人が集まる感じは、いつも一緒。

 


 

今日の稽古は『24000回のキッス』という、2008年に一度だけオリベホールで踊った演目。「そんな演目あったっけ」と映像を見返すと、私が映っていたのであぁそうか踊ったことがあるのかと思う。『クワイ川マーチ』のように何度も踊った演目は比較的覚えているけど、一度しか踊ったことがない演目は踊ったかどうかすら記憶が怪しい。

 

稽古をするうちに、徐々に振りの「名前」を思い出してくる。手のひらを合わせる動き一つ取っても、「隠すように」合わせるのか、「アコーディオンをたたむように」合わせるのか、「練り飴をつぶすように」合わせるのか、質感が決まっていて、「ただ合わせる」「振りだからそうする」ということは絶対ない。ひとつひとつ、居合わせたメンバーで記憶のピースを持ち寄る。

 

一人で映像を見ていても思い出せる気がしないのだけど、みんなで集まって覚えていることを共有したり実際に動いたりしてみると、徐々に輪郭がはっきりしてくるのが楽しい。

 


 

りっちゃんが「久しぶりに踊る演目は、タンスの奥から出てきた古い服を着るようだ」と言っていてその通りだと思った。

 

ホコリが付いていたり、虫が食っていたり、サイズが合わなくなっていたり、似合わなくなっている服を、これから洗って、虫食いを繕って、サイズを直して、似合うようにするのだ。

 

今はまだ、「これってこんな服だったっけ?」という残念さと滑稽さで苦笑いしながら、鏡の前に立っている状態である。

 


似合わなくなった服を着る」への1件のフィードバック

  1. >>「まとっている『社会』を全部脱ぎ捨てて稽古場に来ないといけない」<<
    そうなんだね、zero年代のダンサーズには。
    80年代、とくには即興の時代に入ったとき、[EVE or / and eve ] シリーズ製作中、ソレゾレの仕事との関わりをダンスの中に求められた。社会性とダンスを分けない姿勢。 具体的には、上半身と下半身が別の動きをやりながら、口の方は職場での電話応対を喋り続ける。分裂症のようだった。         これは特に、出口⇒氏との共同制作で美香さん自体が影響を受けたのだと勝手に思う。だって美香さんは、本当に踊ることしかしてこなかったのだと思う。                      
    ホテルの室内清掃のバイトをほんのちょっとやったことがあるって言ってたけれど。ね。       その姿を想像すると可笑しくて。微笑ましい。きっと白い三角頭巾が似合うはずだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です