離れていても

堀江進司


 

黒沢美香&ダンサーズとしての公演が定期的に続いた季節に、千差万別、年齢差40歳の凸凹集団ダンサーズの多彩な側面を、より効果的に披露するには、新聞が面白いのではないか。

よく、色々な地域や団体で、〇〇新聞とか、あるけど、ダンサーズでも新聞を作ったら楽しそうだし、そんな新聞なら私も読んでみたい!と美香さんから話題が持ち上がったと、記憶している。

おそらく、踊り手自身が言葉を模索することで、踊るカラダが、より深く、泡立つ回路を期待した、美香さんの親心からの発案でもあったのだろうと思い返している。

ダンサーズによる編集委員が選別されて、美香さんも沢山の意見を出して、事の成り行きを面白がりながらも、厳しく、見守ってくれました。

 

 

あの人にはこんな記事を書いてもらおう。この人にはこのテーマを投げかけて書いてもらったら面白そう。 ならば、私もひとつ記事を書きますよ!

と、美香さんはひと肌もふた肌も脱いで、綱島の稽古に集うメンバーを中心に、やいのやいのとガハハな協力体制で、ダンサーズ新聞は見事に発行の運びとなりました。

出来あがった新聞を手にした時は、喜びもひとしおで、実際の公演会場、今は無き、綱島温泉東京園の大広間で、新聞を求める沢山のお客さんの姿を前に、苦労は報われました。

 

 

文章を作ることもダンスです。

そう話す、美香さんの声が聞こえてきます。

 

 

美香さんの振付やダンスの動機には、言葉の根が、しっかりと張り付いていた。

ソロの薔薇の人では、短い言葉の沢山書かれた、美香さん言うところの、ダンスの地図、が、稽古場のホワイトボードに留めてあったものを、こっそり盗み見たことがある。

その言葉の地図のお陰で、ダンスに迷っても、戻れる軸があることが、薔薇の人の大胆な冒険につながっていたのだろうと想像した。

 

 

舞踊コンクールにおいて、美香さん振付で出演した人達は、当然、コンクールですから、ワザのデパートな作品を与えられます。

疲れや呼吸の乱れなど、決して見せてはならない、繰り出され続けるエネルギーの緩急で真価を問われる、容赦無い踊りの時間。

普段は厳しい稽古で身を粉にする踊りの奴隷が、神になるための魔法。そんな、わずか数分の作品を、1時間かけて踊ってみてください、とか、振付られた踊りを自分の言葉で文章化して下さい、との課題をダンサーに与えていたらしい。

言葉による作業は、その分、ダンスの理解に得るものも多かったであろうが、コンクールに向けた相当な格闘、葛藤とのせめぎ合いから、綱島の稽古場に向かう日、駅で待ち合わせた乙女達は、お腹が痛くなって、互いに励ましあっていたそうです。

追悼公演に向けたダンス☆ショーの稽古でも、作品毎にリーダーを決めて、振付作品の再現と並行して、言語化も課題となっております。

 

 

それぞれにきっかけや、縁があって、美香さんの企みに加担出来る経緯があっても、ダンサーズの一員であるためには、稽古場で共に汗を流し、それぞれが踊りを模索して、ダンスで輝いていることが唯一の条件でした。

美香さんの厳しい審美眼と深い愛によって、様々な背景を持つ人の豊かなダンスが赦されていた、ダンサーズという尊い場所。

 

 

黒沢美香&ダンサーズは、2004年以前は、黒沢・下田モダンバレエスタジオに通い続ける人達が殆どを占める、踊れるダンサーズでしたが、それ以降の顔ぶれは、踊れる人と珍獣のグラデーションとなり、より太く、毛深いダンスを志す集団として、黒沢美香の目指すダンスを補強すべく、活動を続けて来ました。

今回の新聞も、美香さんの眼の無い中での作業になりますが、天国の美香さんに、ヤラレタ!!と、思ってもらえるような、ユーモアを忘れずに、追悼の気持ちを表すことを一番の目標に掲げました。

 

 

ダンサーズ新聞、第3号においては、各地でダンスの種を蒔き続けた美香さんだけに、綱島以外の方達にも、美香さんとの思い出を募ることにしました。

面識はなくとも、美香さんからお話だけは伺っていた各地のツワモノの皆様方。かつては頻繁に会っていたけど、段々と疎遠になってしまった方。その他、様々な境遇の方々にも、美香さんにまつわる原稿を依頼する度に、初心に戻ってドキドキしながら、やり取りを試みる。

先方からの返事を待つ間は、期待と不安に揺れ動く、まるで、初恋のような、なんとも言えない心持ちの時間です。

 

 

美香さんとの思い出を開示することに対し、快く胸襟を開いてくださる方が多く、やはり、美香さんの人柄のお陰だと痛感しながら、貴重な原稿が、ひとつづつ増えて行く喜び。

その一方で、新聞という型式にこだわらず、その人の胸の中での追悼を選択される方もいらっしゃいまして、新聞部としても、襟を正していただきました。

それぞれの追悼の気持ちが、新聞の中でひとつとなる願い。

叶うでしょうか・・・

 

 

実は、ダンサーズとしての追悼公演を企画するにあたり、ダンスを披露することに対しては、批判的、懐疑的意見の方が、多数を占めていた。

特に、ダンス☆ショーに関しては、美香さんの眼差し、演出、指揮なしなんてあり得ないし、ダンスも成立し得ないだろうと、話し合いは、しばらく平行線を辿りました。

 

 

しかし、ダンサーズとしての追悼の気持ちは、何かしら表したい。

ならば、ひとまず、公演は脇に置いて、ダンサーズ新聞を新たに作ることから私達のダンスを目指そう。新聞がダンスになり得るのではないか、と、話はまとまり、追悼記念のダンサーズ新聞を発行する動機が生まれて、そこから、公演に関しても、何か糸口が芽生え始めました。

 

 

少しずつ集まってゆく文章に触れていると、自分達の知らない美香さんと出逢ったり、記憶からこぼれ落ちてしまった美香さんが蘇ったり、あー、これ、自分の知っている美香さんだ、と、様々な美香さんがあらわれてくる。

新聞のページをめくるごとに、それぞれの想いが立ち上がり、お顔や姿も存じ上げない方の文章であっても、美香さんとの時間を共有しあった、同志の告白に触れることで互いの距離は消え、離れていても、それぞれの存在を認め合う事が出来たならば、美香さんも、困ったような微笑で、私達ダンサーズの愚行を許してくれるのかなぁ、なんて思いつつ、現在、新聞の編集作業を進めています。

むしろ、今だからこそ語り合えた。そんな時間を美香さんは用意してくれたのかもしれません。

 

 

今回の追悼公演に来てくださった方には、もれ無く進呈のダンサーズ新聞。それを手に入れる唯一の方法は、追悼公演を観に来て頂くことです。

是非とも、私達の心の結晶であるダンサーズ新聞を引き寄せに、会場に足をお運びくださいますよう、ダンサーズ一同、心からのお誘いを申し上げます。

私達は今、振付家不在の中でも踊りを磨き、美香さんの残したダンスを披露することで、ありがとうの気持ちを伝える所存です。

 

 


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