失われた神話

堀江進司


 

2017.08.24、木曜夜19:00から、綱島道場における、追悼ダンス☆ショーに向けた稽古スケジュール。

19:00~19:15 ストレッチ
19:15~20:00 スイス
20:00~20:30 ソロ
20:30~21:00 自主練

というスケジュールが、ダンサーズのメーリングリストで流れて来た時、個人的に恐れていた時間、避けて通れない時間が始まるのだと、少し、憂鬱になった。

チラシも出来上がりつつあるし、新聞部でも集まった原稿から編集に向けた作業が始まった。

ダンスの稽古も、振り起こし作業から、全体の流れを見据えた稽古に移行し始めて、公演本番に向けたカウントダウンの季節に突入したことを感じさせてくれる。

稽古場の空気は、熱気と湿気に満ちて、大量の汗も、みんなと一緒だと勲章のように誇らしく、清々とした気持ちにもなるから、不思議な逆転の感情にうれしくなる豊かさがある。

 

 

 

他の人の動きや踊りについては、時々なんだか記憶が豊かだったり、語彙もそこそこに活かされたりもするのだけれども、自分のこととなると、カラキシ役立たずとなってしまう矛盾。

 

 

 

美香さんに、短いソロを振り付けて頂いたのは、2011年、2回目の東京園大広間での、温泉とセットになった、ダンス☆ショーの時です。

短いピアノ曲、約3分間の中に、私という拙い素材の持つユーモアを散りばめつつ、黒沢美香が幼少の頃から叩き込まれた、コンクールの踊りが持つ、美しさ、残酷さ、儚さに、振付を通して、僅かでも触れた驚きの時間でした。

思い返せば、美香さんと一対一で、創造の片鱗に向かい合う畏怖と喜びに、ひとり酔って、理解したつもりになっていただけで、与えられた踊りの質を深めるまでには行けなかった当時の後悔は、長いあいだ胸の中に巣食っていた。

この度の追悼公演の中で、この振付を踊り切れるように、改めて取り組む意義に目覚める入口。そんな、ソロ稽古の1回目の時間を過ごした。

同じく、美香さんに振付をもらった、藤井友美さんも作品を取り出して検討していたが、彼女の踊り、振付の中には美香さんのエッセンスが沢山残っていて、眼は楽しんだ。これこそが、私も目指す場所なのだ。

道はまだまだ遠いが、磨く目的があることに希望が湧く。中年の中に青年を宿すのだ、永遠の童貞、ダンサーズ1番の乙女、の誉れを賜った私である。

ふくらはぎが、まだ少し怖くもあるが、やったるで!と、時には、ハッタリも必要です。

 

 

 

リナさんからの、前の時のホリが今は無い、という正直なご意見。斎藤麻里子さんからのアドバイス顔は顔にあるのではなくて、胸に顔があるようにして踊る、に、気付きをもらった。

美香さんに振付をもらって、間隔が開いて2回目の稽古があったとき、プライベートで色々あって、振付をすっかり忘れてしまったことがあった。困った顔をしている私に、

せっかくホリのために振付をしたのに、忘れられちゃって悲しいな、と、つぶやいていた美香さんを前に、嗚呼、振付家の労力も顧みず、自我を優先した結果、なんとも大変な失礼をしてしまったのだと痛切な反省に至り、そこから作業のスイッチが入ったことを思い出した。

どこかのインタビューで、美香さんは与えられた振付を次に来たときには、いつも、前より進化した踊りで提示する人だった、そんな記事を覚えている。

群舞の中で踊るとき、遅れてダンスに突入した私は、ハッキリ言うまでもなく、踊りの技術は低く、上手い人の影でキャラクターとして許された存在のまま、今日まで来てしまった。

 

 

 

既に、初心者の初々しさも消えた身体で、図々しくも、恥知らずな私。

黒沢美香の魔法の下で許されたラッキーボーイの季節はとうに過ぎたのであるから、技術を獲得してゆかなくては、ダンスなど踊れはしないのだ。

しかも、ソロである。当然、ひとりで踊るのです。誤魔化しようはありません。

やり切れて神になれたか、よくわからない不味い踊りにしてしまうのか、その、どちらかしか道はありません。

即興のソロでなく、振付られたソロダンスと言うものを、思いがけず、始めて持つことになったのです。

 

 

 

そんな美香さんからの振付作品は、温泉ダンスショーにおいて二回公演でした。連続でなく、一週間間隔をあけた土曜日の二回公演だったと記憶しています。

1回目ソロを経て、振付られた踊りの動きが見えてこない、何をやっているのかピントもズレて、ぼんやりした踊りを踊ってしまった私に対して、もどかしさを感じた美香さんからのアドバイスで、2回目の時には、黒タイツと上半身裸で、首には美香さんお手製のピンポン球を紐で結んだ首飾りを身につけて、ソロを踊りました。

美香さんからの、多くを語らずに、自分でも感じ取って欲しい、というメッセージ。肌を晒すことによる緊張が、踊りに良い作用を与えることに期待を掛けた演出の変更。服に守られた皮膚、女性の中の男という立場に甘えていた私への喝と捉えて、踊りました。

お客さんからは当然ながら苦笑もあって、正直な反応であるとも思いましたけれども、少数の人には、踊りに向かう姿勢のまっすぐさに気付いてもらえたようで、美香さんも、ようやくここが始まりです、と、ほんの少しだけ認めてくださったような微笑を覚えている。

消え入りたい気持ちと誇らしく思う気持ちが入り混じる、複雑なソロの成果でした。

 

 

 

その後、中華街での同発ジャズズの中に、この振付のアレンジが組み込まれたお陰で、自分なりに挽回を図ることも少しは出来ましたが、純粋な形で踊れる最後の挑戦を12月の追悼公演で目指しています。

当時よりは理解力は深まったとは思いたいですが、残念ながら、身体は、より怠惰となってしまいました。

美香さんのキャッチコピー、怠惰にかけては勤勉な、は、美香さんだから許された言葉です。

 

 

 

ホリ、その身体のサイズでは疲れた中年です。青年の身体で踊ってください。ダンスが汚れてます。

とにかく清潔です。男子は特に、清潔な踊りを目指してください。ホリの良かった時の踊りは清潔でキレイでした。それを忘れないでください。

 

 

 

美香さんからの言葉は、宝石のように胸の中で輝いている。

いくら磨いたとしても、ある到達が訪れなければ、ダンサーズの仲間達からも、出ない方があなたのためだと判断されたならば、潔く人様の前で踊らずに、この振付も埋もれたままで消えゆく運命なのです。

 

 

 

私が感銘を受けた音楽に、ピーターの『失われた神話』というアルバムがあります。

なかにし礼を中心とした、ストーリー仕立てのコンセプトアルバムで、台詞と歌が交互に展開されます。

ピーターの低い声には、闇があります。普段見たく無い心の闇の中には、希望の光も含まれているはずです。闇があるから光を求める。

闇の中から放たれる音楽に、心は動揺します。孤独な魂と音楽が通じ合い、希望の光りが灯ります。愛だの恋だの、も、大事なことですが、根源的な何かに触れたい希望を感じます。

ピーターの音楽なんて気持ち悪い、などと思うなかれ。みんなの中にも潜む、心のひとつのあらわれであるかもしれません。

黒沢美香のダンスに出会った時、ピーターの音楽のように、私にだけ語りかける、闇の中からの光だったように思いました。

ダンスには、こんな姿もあるんですよ。そんな宣言をするように踊り、ダンスの場を怪しくも美しい世界に染め上げていた、黒沢美香の姿に撃たれたのです。

そんな人に振付てもらえた踊りを、再び提示できるよう、真摯に向かいあいます。

 

 

 

失われた神話。

危険な言葉であることに気付きました。私に振付てもらった踊りは、そう、なりませんように。

 

 

草々

 

 


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