8月26日「一人に一曲」

福山孝子


 

初めて「一人に一曲」に参加したのは、9年前になる。

 

美香さんのダンスに魅せられて稽古場に来るようになってからまもなくのことだ。

 

 

 

美香さんの踊りを間近で見られて同じ場で踊れる、なんて贅沢なんだろうと思った。

 

踊りはもちろんだが、目がすごかった。

 

美香さんは言葉で表現することが巧みな人なので、普段の稽古では、われわれは美香さんの言葉を待っている。でも「一人に一曲」は一回一回が本番なので、言葉はない代わりに目が語っていた。

 

 

 

美香さんが亡くなってから、あの凝視する目がなくなった。

 

春には時々、場が停滞することがあった。緩くなる、とか、戸惑う、という雰囲気が漂うことがあった。そのことに対する危機感は、皆の感想からも察せられた。

 

でもその欠落が、皆を変えてきたように思う。美香さんの目は、もうない。だったら、私たちが見なきゃ、言わなきゃ、という想いが、どんどん強くなってきたように思う。

 

私はいままで自分が踊ることで精一杯で、周りの踊りがどうかよりも、自分の踊りをどのように成立させるかばかりを考えていた。今は、見たいと思う。

 

 

 

「一人に一曲」の醍醐味は、観客が踊る人も務めることだ、と教えてくれたのはこぐれさんだったか、リッちゃんだったか。

 

観客として見ながらも、踊る身体でいる。踊りながらも、場を見ている。見ることと踊ることが場を成立させる。美香さんの不在によって、皆見ることが格段に進歩してきているのではないだろうか。

 

 

 

昨日はホリが文鎮を務めてくれた。

 

踊らずにずっと見て、見たことを伝える。言いにくいことを言わなければいけない。椎名さんや多田さんの鋭い意見と自分の記憶を行き来させる。

 

誰かが仕掛けた攻撃はよかったのか、何かを殺してしまったのか、引くべきだったのか、とどまるべきだったのか。普段発言の少ない私も無理やり口を開く。一番へたくそな自分が上手な人の批判を口にする慎みのなさを、ダンサーズの自由な伝統が後押ししてくれる。

 

 

 

感想を言い合う1時間があっという間にたってしまう。

 

美香さんのダメ出しを、どうやったら引き継げるんだろう。たやすく手に入れられるものではないけれども、それぞれの中に美香さんのまなざしのかけらのようなものが残っていて、踊り、見、話すうちに、それが現れてくれれば、と思う。

 

それを、今、ここで踊るダンスに、どのように繋げるのか、繋げられるのか。公演まであと2か月半、まだまだ、これから。

 

 

 


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