「牛」

のぎすみこ


 

 

初めておしゃべりをしたのは、パフォーマンスイベント出演前の、風間るり子だった。

 

大宮のストリップ劇場の楽屋で、「どうやったら上手く出来るかな?」と、_札束(偽)のばら撒き方を試行錯誤していた女性に、「こうやったらどうでしょうか」と声を掛けた。宙に投げた札がバッと広がって舞う様を見て、女性は「わぁ」と特徴のある声を上げた。

 

後にその時の事が二人の会話に上がった際、「あの時、のぎさんのくわえ煙草が全く落ちないし、いつ火を点けるか気になってたのよ」と、カラカラと笑っていたのを思い出す。

 

 

黒沢美香が何者なのかまだ知らない頃から、実は彼女の踊りを目にしていた事に気づいたのは後の事で、意識的に観に行き、決定的に度肝を抜かれたのは『薔薇の人ーめまいー』(2005)だった。見終わったわたしは、周りの目もはばからず、その場で「すげーーーーーーっっっ」と大声を上げた。

 

それからは黒沢美香のファンとして、彼女の公演に足繁く通った。わたしの観たい「芸術」が、いつもそこにはあった。幾度も心が震えた。

 

 

友人のダンス公演終了後、バックヤードで鉢合わせた美香さんに「衣装さんで無い人に衣装を頼みたいの」と、唐突に言われた。即決しない理由は無かった。わたしの重い体が、美香さんの言葉で地面から少し浮いていたんじゃないかと思う。「今回、壁と床をやっつけます」という美香さんのお題に、美術家として武者震いした。

 

『薔薇の人ー牛ー』(2008)の制作のための、美香さんとの二人きりの時間は、素晴らしいものだった。小さな子供が遊ぶ際に「わからない言語や比喩」、もしくは「他の人には理解できない暗号」の様なものが混ざる事があるけれど、それに類似していた。まるで鰯の大群の様な感受性で力強くうねる対話。そこから生まれる身体表現が、「牛」の様に立ち上がっていく現場が、面白く楽しくて仕方無かった。わたしの共同作業体験の中で、初めての興奮を味わった。

 

気づけば衣装だけでなく、ヘアメイクや舞台美術、広告のイラストを任され、「あなたとわたししかいないんだから見てて、思ったことは言って」と、構成にまで口を出す事を赦されていた。

 

 

神楽坂セッションハウスでの初演から、8ヶ月経った金沢市民芸術村での事。そこで行った「牛」の公演前の美香さんから、「足が痛いので、靴を履いたまま出ます」と、素足になるシーンを飛ばす事を告げられた。そもそも靴は衣装には含まれていなかったのだけれど、そこまでの痛みである事を理解して本番を迎えた。そして本番で美香さんは、何事もないかの様に靴も靴下も舞台上で脱いでみせた。

 

遠慮や妥協の無い作品作りへの真摯な姿勢にだけ、芸術の神は微笑みながら降りてくるのだと深く感じて、心に強く刻んだ。そして、美香さん自ら「傑作」と言い放った作品に関われたことを、誇りに思っている。

 

 

川縁をゆっくりと歩きながらした穏やかな会話。たまに出るわたしの東北訛りを、楽しそうに目を細めながら美香さんも訛ってみせた事。「 lonely woman」への出演依頼。美香さんの表現からは限りない程の芸術を、そして沢山の宝物の様な言葉と時間を頂いた。

 

ある日のメールに「あなたが一番「牛」でした」と書かれていた時は、表現者としてのお墨付きをもらったようで、本当に嬉しかった。

 

ダンスの生徒ではなかったけれど、わたしの中で「師」と仰ぐ人は黒沢美香ただ一人だと断言したい。

 

ありがとうございます。

 

 

 


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