美香さんが見たかった光景~一人に一曲体験記~

大崎晃伸


 

一人に一曲が終わった。

 

美香さんが存命中、一人に一曲の稽古に行ったことはなかった。

言葉だけで何となく想像していた一人に一曲。

一曲のあいだ、即興で、ソロで踊る。

一曲を任される。

野獣のようなダンサーズの人たちがすごいダンスを踊るのを想像して、私に人にお見せできるダンスなんてない、どう動いていいかわからなくなるのを想像して、勝手に怯えていた。

 

 

だが今回、稽古を積めばできるはずという直感がなぜかやってきて、出ることに決めた。

 

 

稽古は試行錯誤だった。

ソロがなかなか立たない。

場が濁る。

ソロを大事にしようとすると、場に出て何かを起こそうとする人がいなくなる。

奇跡のような群舞も起こらない。

 

 

参加者のセンスが出てしまう場でもあった。

それぞれがその時その場で何を大切にしたいかが問われていた。

美と覚悟と潔さが問われていた。

 

 

「これをこのままやって、公演になるのか?」という疑問が出てきた。

先輩たちも、「一人に一曲は難しい、難しい」と言っていた。

 

 

9月の大倉山記念館現場稽古は混沌の極みだった。

ぐちゃぐちゃであった。

綱島稽古場のフラットな空間とは違い、大倉山には舞台がある。

舞台に上がると、それだけで意味が生まれてしまうし、場に出ている他のダンサーと通じ合うことができなくなるのだった。

客席の配置はどうするのか、ダンサーの待機場所、動線はどうするのか、課題がたくさん見えてきて、しかしもう現場稽古する機会はないので、心配になった。

 

 

カセットテープに入れる曲選びも難しかった。

人を踊らせる曲とは、どんな曲か。

私は、どんな曲でも踊ろうと思っていた。

 

 

11月12日「一人に一曲」1回目、11月18日「lonely woman」を見る。

お客さんが入ると、大倉山記念館が濃密な空間になる。

ダンサーたちの集中力も上がっているのがわかる。

一人に一曲は、お客さんの目にさらさなければいけない作品なのだと思った。

 

 

踊りたい気持ちがわいてくる。

 

 

薪をくべる。

燃やしてやろうと思う。

 

 

そして本番。

こうすればよかった、こうしたかった、はいっぱいある。

 

 

したいと思った瞬間に飛び出せるようになりたい。

「やろうと思ったことをやったのでは遅いのよ」と先輩が言っていた。

時間を自分のものにする。

 

 

そして、ダンサーは踊っている自分を見れない、を実感する。

自分はどう見えているんだろう、どんな時間が流れているんだろう。

「この時」を客席からも見たい、と思った。

しかし、客席から見ていたら今度は踊れない。

その瞬間のすべてを、味わい尽くすことはできないようになっている。

 

 

また、一人に一曲があればいいと思う。

美香さんが生み出した、広い意味での振付というか、踊りのシステム。

それを使って踊る人たちが、濃密で退屈で唖然とさせ心ときめく時を過ごさせてくれる機会を私も待っている。

 

 

美香さんが一人に一曲でどんな光景を見たかったのか。

私たちは、そこにたどり着いただろうか。

私たちはまだ、探せるのではないだろうか。

 

 

 


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